ここ数年にスロットを始めた世代の方には、にわかには信じ難い程にその時代のスロットはまさに繁栄を極め、「黄金期」と言える時代だった。
パチンコ店が乱立し、スロット専門店もあちこちでオープン。それに伴い「スロプロ」という言葉が定着し、スロットを生業とする人間が急速に増加。年収1000万円も珍しくない時代へと突入する。
菊池家はとても真面目で優しい父のもと、賭け事云々以前にゲームセンターすら禁止され、更には当時社会現象を巻き起こした「家なき子」というドラマすら教育に悪いという理由から観てはいけないような家庭だったが、父の教育方針とは裏腹に菊池のパチンコとの出会いは思いのほか早い。
中学生の頃にダービースタリオンというゲームで競馬にハマり、2000頭以上のデータを暗記して血統について熱く語っていた彼は、友達とゲームセンターの競馬メダルゲームに熱中し通いつめる。もちろん家には内緒で。
しかし当時はゲームセンターのメダルも今より遥かに高く1000円で50枚、換金も当然不可。子供にはなかなか手が出ない価格帯であった。
しかしそんな中、100円単位で遊べて当たれば80枚+αのメダルが獲得できる「パチンコ」の存在に気がつく。
「大工の源さん」
「モンスターハウス」
「ルパン三世」
「大海物語」
どれもが時代を彩った名機達。コンビニで攻略本を買い、子供ながらに独自に研究したりもした。
そして菊池の両親がパチンコ名人として今夜もドル箱で人気を博した「斉木しげる」氏と親交があり、家も近かったことからご自宅でお食事をご馳走になった際にあれこれ質問したこともあった。
そして名人は子供の質問にも丁寧ににこやかに答えてくれていたことが菊池は嬉しかった。
「パチンコはやらないほうが良い」と名人が笑っていたことを今でも覚えている。
ゲームセンターのパチンコに熱中した彼は高校、大学と時を経て、やがて初めてのスロットを経験する。
最初に打ったスロット、それは…
第6話へ続く↓↓↓