大学も卒業し両親を説得した菊池は、いよいよ時間のゆとりを確保してスロプロ生活に乗り出した。
演奏家、プロマジシャン、会社経営と様々なことに取り組みながらも、その全てを成し得るのにスロットは大いに役立った。
芸の道はとても険しく、一見華やかに見える世界もスポットを浴びて輝ける人間の少なさに、多くの人が夢半ばにして現実との折り合いをつけていく。それほどまでに成功することが難しい。
しかし、ひとえに成功の括りも様々だが、好きなことを続けてそれでお金が稼げることをひとつの成功とするならば、これはある程度忍耐強く続けられれば叶うこともある。
「継続は力」とはよく言ったものだ。
だがしかし、そこに辿り着くまでやり続けることの難しさが尋常ではない。
アルバイトをかけ持ちしながら生活を支えることも、20代前半ならば夢追い人としてカッコよく評価される。
しかしそれも20代中盤に差し掛かると少し冷ややかな目で見られる。20代も後半になれば「いつまでもそんなことしていないで普通に働けば?」という意見で溢れかえる。その上同年代や友人は家庭すら築き、それでも歯をくいしばるがいよいよ30歳となるあたりで、未だに見えてこない成功という名の道に限界を感じる。
それでも、続けることは時に偉大な力をもたらし、芸の道で暮らしていくことが叶う、こともある。もちろん叶わないこともある。まさにギャンブルだ。
だが菊池はスロットで十分な収入を得られただけでなく、時間が持てたことで様々なところに顔を出し交友関係を広めていった。
そこで培った人脈が後に会社を設立した際に大きな力となっていく。その上コンサートへもお客様として来てくれる人も増え、成功への道標となっていった。
スロットが菊池にもたらした恩恵はあまりにもデカい。
そうした日々を嬉嬉として楽しみながら過ごしていた2006年の年末。
「面白い台があるよ!!」
と町田が笑いながら菊池に話しかけた。
【アクアビーナス-25】
あまり多くは設置されなかったが言わずと知れた名機だ。
菊池は俗に【沖スロ】と言われる華が光る台やキュイン告知を搭載している台が苦手でほとんど打つことはなかった。
キュイン告知はビックリしてしまうのが苦手で、華はレバーでほぼ告知されるために当たる気がしないからだった。
それ故に町田に勧められてもイマイチピンと来なかったが、促されるままに座っていた。
このアクアビーナスには、今では当たり前となったある機能が絶妙に搭載されていたことで、菊池はこの台の虜となる。

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第53話へ続く↓↓↓
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