哲学的な思考における遊び。
考えるということは、人に与えられた
最上級の遊びだろう。
ここに2つの運命論が存在したとしよう。
あなたはどちらの運命論を支持しますか?
例えば、ふと何気なく予約したお店の店員と客。
例えば、急遽第三者の予定が変更されその代役で、本来その場には居合わせなかった2人が出会う。
例えば、街で落し物を拾った相手が、その夜偶然友人に紹介される。
こうした一瞬「運命かも?」と感じる出来事がきっとみんなにもあるに違いない。
そしてその多くは気にも止めないうちに過ぎ去り、それを運命と呼ぶ前に過去の出来事となる。
昨年妹が結婚し、更には親友のDA西氏も結婚した。
危うい…実に危うい。
周りの全てが運命の人と出会い、結ばれていってしまう…私を除いて…(震え声)
それはさておき、仮に、結婚して夫婦となった恋人たち全てを運命の出会いを果たした人達と呼ぶのなら…
その2人の出会いこそを奇跡
結ばれたことを運命と定義付けた時
議題の少し異なる似た運命論が浮かんだ。
これだ。1✍ 2✍ 3✍
A 2人は結ばれる運命なのだから、例えスレ違い離れても、あるいはそもそもその瞬間に出会わなかったとしてもその後なんらかの形で結果的に出会う運命…論。
B 2人はその時出会わなかったことですれ違ってしまい、その先交わらないどころかそもそも出会えない運命…論。
後者は交わらないこともまた運命と考えるわけだから、唯一出会いから結婚に至ったものだけを運命と呼ぶ考え方だと成り立たない。
がしかし、そういう考え方の運命論もある気がする。
AとBでは逆説的な部分があり、同時にBから移行する未来はAとなるとも言えるわけで……
こんな堂々巡りをしていた平成最後の春🌸
1人で(あーでもこれは論理が破綻しているか)とか、(こういう考え方もあるな)とか…楽しい🤗
ちなみに、余計な考えや思考遊びは置いておいて、僕は運命の人とは必ず最後は結ばれるから運命なんだと思っているタイプです。
えーっと…
みんなに聞きたいんだけど
これから先、僕は誰にも出会わない運命という可能性はありますか?(震え声)
おしまい