8/1は牌の日と、麻雀の世界では言うそうで🀄
ただ僕にとっては別の意味を持つ日なんです。
2015年の8月1日。
今年に比べるとだいぶ梅雨明けも早く、ジリジリと照りつける日差しから開放された夕暮れには、普段しない1人酒もしたくなるほどの暑さが残っていて、ただこの日は「何か」を考えたくて近くの串揚げ屋で1人飲んでいたわけで。
「何か面白いことをやりたい」
仕事を始める上での好奇心の持ち方としては悪くないだろう。この時は、普段から念頭に置いている
「社会貢献をしなければお金を稼いでも意味をなさない」
という哲学の範囲を
「麻雀界を盛り上げることが出来れば」
という、少し狭いと感じる人もいればおこがましいと思う人もいるであろう所まで広げていた。
というのも、麻雀を覚えて5、6年ほどだった2015年ではあったが、のめり込むととことんやり尽くす性分のため、麻雀を覚えて1ヶ月程でフリー雀荘へ行き、そこから毎日時間を見つけては打ち続け、四人打ち東南戦で月に200-300半荘打つようになり、とことん麻雀が好きになって時間を費やしたおかげで麻雀というコミニティーの中に沢山の友人が出来た。
その中には多くの麻雀プロもおり、皆一様に優しく琴のコンサートにもよく仕事を休んでは駆けつけてくれた。
そんな折、麻雀プロの住む世界に君臨していた大魔神「飯田正人」が晩年贈ってくださった色紙。
コンサートにも何度か足を運んで下さり、CDも沢山買ってくれた飯田先生の残して下さった、このお言葉に対する感謝の念を「何か」で返そう…
そう思っていたのがまさに2015年8月1日だった。
この日に音楽と麻雀の融合をとの思いでスタートしたのがMoreであり、多くの申し込みの中から100名近くオーディションをして16名を選抜し、雑誌やメディアに大々的に広告を打ち、楽曲や衣装にも多分に費用をかけ、何より多くの業界関係者のバックアップを受けてデビューしたのがイルミネーションに彩られた2015年の12月15日だったわけだから、この8/1からの日々がどれだけ忙しかったことか…
それから月日は流れて2019年8月1日。
加入や卒業を繰り返して4期目のメンバーもいる現在。
これまで卒業していったメンバーはもちろん、今でも頑張って続けてくれてるメンバーには本当に感謝してる。
いや、感謝できるってのが正解かな🤔
多少なりとも自分が成長しないとそこに至るのは難しかった気がするのが本音。僕はみんなと同じ、小さい人間なのだ。
というのも、全員フラットな所からのスタートではなかったからMoreに入って得をしたメンバーもいれば大してメリットのなかったメンバーもいたかもしれないけれど、それでも述べ1000万円近く使い、琴を1年休んでまで多くの時間をかけてきて、中には嘘をついて辞めた人や、ちょっと常識では考えられないことをして辞めた人もいたし、挙句文句を吐き捨てて辞めてった人もいた。
「これだけ尽くしてきたのになんでだよ!」
と口にはせずとも思ってしまった若かった自分も、今となればどんな飛ぶ鳥の最後の姿も
「これまで頑張ってくれてありがとう」
と言えるところまではきたよ😇笑
それでも一生のうちに経験する人の方が圧倒的に少ない「アイドルのプロデューサー」を経験出来たんだからそれだけで貴重だね。
そして2019年8月1日は、残ってるメンバー達がどうか次のステージへ登るために力になれることをしたいなぁと、営業にスポンサー集めに頑張った夏の日でしたとさ🐟🐬🐳🏄🏊🍍🌴🌻☀️🐚👙🍧🍦⛵️🍉
おしまい